私が小さい頃、山形ラーメンと言う言葉は聞いた事がありませんでした。
山形県には、地ラーメンが各地に根付いており、山形市は、全国で中華そばの消費量がNO,1になります。
なるほど、小さい頃からお客さんが来ると、お昼には中華そばを配達しておもてなしをしたものです。
人口が少ないのに、中華そば屋さん・日本そば屋さん・製麺所の多い街です。
日本そば屋さん、ラーメン屋さんに入っても、沢山のメニューがあり、日本そば屋のラーメンだったり、ラーメン店の日本そばだったり、人口の少ない街に沢山の麺屋さんがあり、一店舗であきのこない様に沢山のメニューを置く店が多いのは納得です。
味も毎日でも食べれる様にあっさり味が多いです。どのお店に入ってもハズレが少ないのも特徴であります。
山形には地ラーメンが数多くあり、山形県がラーメンのテーマパークの様な所です。
南から、米沢ラーメン、名店龍上海(赤湯ラーメン)、内陸地方山形市(冷やしラーメン発祥)、天童(鶏中華)、河北町(冷たい肉そば)、新庄(鶏もつラーメン)、酒田ラーメン(自家製麺の多い麺の量180g)等、各地に様々な地ラーメンがあります。
私は、東京で屋台を引き、山形のラーメンを伝えようと上京し、各地の地ラーメンをピックアップし、メニューにまとめ、その全てのメニューを山形ラーメン?として、世に伝えたのです。
天童で生まれたので、山形ラーメン天童とのれんを挙げたのです。
山形のお店の良さを知ってもらうのに、日本そばも山形から直送し、ラーメンのスープで食べる独自のメニューを全国に発信させたのです。
今、日本は温暖化が進み、4月から10月まで暖かさが続き、ラーメン店は毎年苦戦を強いられています。
大手のラーメンチェーン店さんも日本そば屋を店の半分にオープンさせたりと対策がすでに取られています。
山形のお店は、中華そば、塩ラーメン、味噌、つけ麺、つけそば、日本そば、ざるそば、むぎ切り、夏は冷やしラーメンと一年を通し幅広いお客様をあきさせないと言うメニュー構成となっております。
わたしはあえて「山形スタイル」と呼んでおりますが、これからラーメン業界はこのスタイルに自然となっていく、そうならざるを得ないようになっていく事でしょう!
小さい頃、天童駅は大変賑わっておりました。
小学校の帰り道、商売を営んでいるお母さん達に、鏡君のお帰りと良く声を掛けてもらったものです。
さて、今の故郷、天童はどうでしょうか?
駅前はシャッター街で、あの栄えていた街は消えてしまっています。
街を大手のショッピングモールが開拓し、また今度は10kmぐらいの離れた場所に、別の大手がショッピングモールを開拓と、昔からの老舗が姿を消し、2代目が後を継げず田舎を離れる、こんな事が現実で故郷は昔の良き思い出、素朴な味がなくなって行くのを指をくわえて見ていられないので、こんな自分に何かできる事はないのかと考えて、山形のラーメンを全国に伝えて、こんな美味を味わえるなら、現地に足を運んだら本物が食べられる「山形へ行こう」と思ってくれる人が沢山、山形を訪れてくれれば、山形は麺文化を通じ山形へ行き、お金を落としてくれるのでは、そして2代目が跡を継ぎ、老舗が残ってくれるのではと始めた事でした。
その後、ご当地ラーメンブームとなり、西のラーメン博物館(ラーメン劇場)という事で、全国7店舗に選出して頂き、その後、博多キャナルシティのラーメンスタジアムでは、名店すみれ(札幌)さんと入店させて頂き、その後全国11店舗までお店は増えました。
あれやこれやと年商4億までは売り上げは伸びました。しかし私は、原点では山形のラーメンを全国に広めたい思いでしたので、儲けのために始めたのではありませんでした。
スポンサーもなく、自分の財布だけで始めた事でしたので、土台もできないままに気づいた時には目の届かない経営で、7千万の借金に膨れ上がっていました。この10年、本音は生きた心地をした事がありませんでした。
人には言えない事が日替わりサービスの様に続き、体も不調を訴え、地獄のような日々を過ごしてきました。
どんな日々だったかは、この先また山形ラーメン天童が完全復活を遂げた時に、テレビで再現ドラマにでもして、お伝えできる機会があれば・・・。
何故、私が山形ラーメン天童を登録商標にしなかったのかと言うと、山形の若者に上京し、山形ラーメンにチャレンジして欲しかったからです。
山形で生まれ、山形の麺文化を伝える人がもっと沢山いても良いかと思い、あえて登録商標はしませんでした。
山形ラーメンを名乗るには、山形で生まれた父、母、おじいちゃん、おばあちゃんが山形の人で、小さい頃に田舎を訪れた際に食べた、ラーメンの味が忘れられないから、大きくなったら山形の味を最低5年は勉強して欲しいものです。
山形を愛し、誰にも山形の事を質問されても答えられるぐらいが、山形を名乗る条件ですかね!
私は今も山形スタイルの麺文化を全国、そして世界へ伝えるのが目標です。
当店のメニューで、涙の塩ラーメンの意味を良く聞かれますが、忙しい時など、涙が出る程美味しいからとスタッフに答える様に伝えていますが、本当は屋台を引いている時に、塩ラーメンブームになりました。
その時にお客様が、お店を持ったら塩ラーメンを作ってねと言われ、傑作ができたら、その時は喜びの歓喜の涙から、涙の塩ラーメンてどうかしらと言われた事から、この名前にしたのです。
当店も創業15年、様々な歴史があるのです。
当店の歩み[1]
平成7年 |
東京八王子にて屋台を引く |
平成8年 |
東京八王子にて店を開くも2度の交通事故にて閉店 |
平成8年 |
東京稲城市に移転 |
平成8年 |
・東京多摩市に本店を構える
・ラーメン劇場出店(西のラーメン博物館に全国から7軒選出)
・ラーメンスタジアム博多に出店 |
<大阪(なんば、千里中央)明石、小倉、池袋、姫路、お台場、横浜(ラーメン甲子園で優勝)>
明星食品より、カップラーメン「みそたまりらーめん」を全国販売し、100万食を超える大ヒット!!
サンクスからは「辛しつけ麺」全国販売!!
ベルメゾンより「通販ラーメン」が大好評発売中!!
平成18年3月31日 |
この地天童に山形ラーメン天童総本山を構える |
平成18年6月26日 |
池袋北口に山形麺伝説天五穀 開店 |
当店の歩み[2]
テレビ、雑誌等には数々紹介される。
民放局は全ての局にて紹介される。
NHKでも紹介。
海外からのテレビ取材もあり。
ニュース番組、もしもツアーズ、旅の香り(氷川きよしさんと共演)
おもいっきりテレビ等々多数
■山形地方局 |
山形らーめん参上(カップ麺1時間番組)
山形らーめん食べ歩き(林家こぶ平さんと共演)
山形、鹿児島お国自慢 他多数 |
■雑誌 |
女性自身、週間大衆、週間ポスト、週間現代、東京一週間、週間アクション、その他多数 |
■新聞 |
日本経済新聞、読売新聞、スポーツ紙、山形地方新聞、他多数 |
■ラジオ |
オールナイトニッポン(くりーむしちゅう上田さんと共演) |
山形らーめん天童、池袋麺匠福助、山形麺伝説天五穀
3つのブランド!!